わたしのどうしようもない人生

人生において永遠にやる気が出ないアラサー女の人生について

ふつうじゃない1

人生っていうと大げさかもしれませんが、

私はよく人から、ふつうじゃないといわれます。

そして、おかしいともよく言われます。

 

「考え方がふつうじゃない」

「ふつうのひとはそうならない」

「頭がおかしい」

「なぜふつうに生きようと思わないのか」

「おかしいことになぜ気づかないんだ」

 

そんなことばかり言われます。

これはふつうじゃない個性的な私ってすごいでしょ自慢

 

ではありません。

わたしはふつうにご飯を食べて、

ふつうに寝て、

ふつうの暮らしをして、

ふつうに生きていたいです。

できるならね。

まあ過去の話は置いておいても、

現在はふつうに生きているつもりなんですが、

どうやら違うようです。

 

わたしは

正社員でもフリーターでも、

お金を無駄遣いしても、節約しても、

貯金があってもなくても、

恋人はいてもいなくても、

結婚はしてもしなくても、

朝からカップラーメンを食べても、ごはんとシャケとみそ汁を食べても、

オーガニックの食材にはこだわっても、こだわらなくても、

部屋がきれいでも、汚くても、

動物が好きでも嫌いでも、

こどもが好きでも嫌いでも、

がんばっててもがんばれてなくても、

人から好かれてても嫌われてても、

目標があってもなくても、

生きていたくても生きていたくなくても、

なんだってどっちでもいいと思います。

 

わたしは人の気持ちを考えてないとよく言われます。

それは上に書いた通り、

なんでもいいと思う、どっちでもいいと思う

と考えることができるジャンルも項目も、

わりと多いことが原因なんじゃないかと

最近気づきました。

自己解釈なので間違っているかもしれませんがね。

 

わたしは自分に対してされて嫌だなと思うことが、

あまり多くないかもしれません。

人の話を聞いていて、どうしてそんなことで怒るんだろう

と思うことが多いからそう思っただけなんですけど。

別にそれで怒っている人を見てこのひと変なひとだな

と思ったりはしませんよ。

人間なんてみんな別の生き物ですし、

考え方なんてひとの数だけあると思ってます。

 

わたしの中にベースとしてある考え方があって、

”自分がされて嫌なことは人にはしてはいけない”

というものなんですけど、

自分がされて嫌なことがあまり多くないせいで、

わりと困った要求だったり、

ひとが聞かれたくない質問をしてしまったり、

失礼なことをしてしまうことが多いんですね。

わたしが同じことをされたり聞かれたりやられたりしても、

別に何とも思わないので

自分も何も考えずにそういうことをしてしまっているんですけど、

受け入れられなかったことは少なくないです。

 

その時もわたしは、

なんでこのひとこんなに怒っているんだろう

としか考えていませんでした。

怒りっぽい人なのかな、とか、

たまたま虫の居所が悪かったのかな、とか、

よくてこのひとのトラウマに触れちゃったのかな?ごめんなさい

と思うぐらいで、

自分が悪いことをしたという考えが一番最初にでてくることは

まずありませんでした。

 

わたしは自分がされて嫌なことは人にもしない

ということができる人間だ!

と、自信を持っていたからです。

 

しかしですよ。

 

自分がされて嫌なことは人にもしないこと

 =人の気持ちを考えて行動すること

 

にはつながっていなかったんです。

今日気づいたんですけど。

 

人の気持ちを考えて行動するというのは、

自分に当てはめて考えることじゃなく、

自分がもっていない感情を相手はもっているかもしれない

ということを考えることが肝だったんですね。

今日気づいたんですけどね。

 

そうやって考えると、

わたしはこれまでどれだけの人に不快な思いをさせて、

嫌なことをしてきていたか、

多分膨大です。

恐ろしいです。

 

人にはそれぞれ価値観があって、

それがぴったり合う人はなかなかいなくって、

だけどそれでもみんなお互いの価値観をすり合わせながら、

生きているんですよね。

 

わたしがしてきたことは、

単なる自分の価値観の押し付けにしかすぎなかったのです。

わたしは今までの人生で関わってきたみなさん、

今現在わたしをおつきあいしている方々、

本当にすみませんでした。

 

人の気持ちを考えて行動していないわたしですもの、

ふつうじゃないといわれ、

頭がおかしいといわれ、

そんな風に言われても仕方がないですよね。

 

疲れたのでいったん終わります。